何が何だか

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湿度も低く

久しぶりに秋らしい快適な天気となる。
JRを越える陸橋の上から西を見ると、奥武蔵から奥多摩、大菩薩、丹沢の山々と、そこから抜きんでた薄紫色の富士が見える。

富士山には10代の終わりの12月に一度だけ登ったことがある。富士吉田駅(今は「富士山駅」というのだそうだ)からずっと歩いた。その日は五合目にテントを張って、雪上訓練をした。
その最中に、かなり離れた吉田大沢で雪と氷の滑り台を何百メートルか人が滑り落ちたのが見えたそうだ。その人は止まってから立ち上がったそうで、仲間たちは皆「オオーッ、すげぇー」などと口々に言っていたが、私だけ認識できなかった。
翌日は頂上を目指したのだが、途中で大きな犬を連れた外人が一人で登って来るのに出会った。私たちのリーダーが「犬用のクランポン(アイゼン)はもっていないだろうから、ここからひきかえしたほうがいいよ」と親切にも英語でアドバイスをして、彼らはそこから下ったように思う。
天気も良く、頂上でお鉢巡りをしてから下り始めた。日が傾きかけると氷の斜面はアイゼンの爪があまり突き立たず怖かった。
当たり前だが、元気だったのだなと思う。

毎朝大汗をかいて散歩から帰って来て、そのままストレッチやスクワットなどやるせいか、なんだか少し風邪気味である。先にシャワーを浴びればいいのだろうが、勢いでやってしまわないと、ついその気が無くなってしまう。

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名残のトマトの花。



夜中の1時間ほど風雨強し

被害を受けた地方の方には申し訳ないような気がするが、関東地方の我が家には台風18号の影響はほとんどなかった。今日は「台風一過」というようなさわやかさではなく、真夏が戻ったかと思えるような強い日差しと蒸し暑さの一日であった。

少し迷ったが、6時半過ぎに散歩に出る。昨日歩けなかったせいか、結構人出がある。ここ何年も速足歩きを続けているにもかかわらず脚力増強にあまり役立っていないことに気づき、途中で少し走ってみる。スロージョギングというのか、歩くのとほとんど変わりがない程度のスピードではあるが、それでもやはりそれなりに足腰には負荷がかかる感じがする。少なくとも初めのうちは走るのはほんの一部だけにとどめるつもりだ。走るというのは結構癖になるはずで、お調子者の年寄りは意識的にセーブしないとあぶない。

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セイバンモロコシ。今朝の写真ではないです。



台風が心配

昨日は連れ合い関係の法事があって、気の進まぬまま法要には出たのだが、その後のお斎は1時間も移動時間のかかる親戚筋の料理店だというので、私だけ先に失礼して帰ってきた。
一応義理は果たして、たぶん法事も当分はないだろうから、肩がぐっと軽くなった。
それにしても、電車に乗って出かけて帰ってくるとがっくり疲れる。体力がないということなのか、人混みに神経を使うのか。

楽しみにしているいくつかのブログが、最近あまり更新されない。少しつまらなかったのだが、数日前よりその一つ「お気楽亭のブログ」が再開された。こんなにめでたいことはない。
この人のブログは、文章を書く上でのわたしのお手本である。

直近の記事で、太宰に触れていたせいで、ふと「きりぎりす」を読みたくなって青空文庫でダウンロードする。

***引用開始***

私は、或る日こっそり父の会社に、あなたの画を見に行きました。その時のことを、あなたにお話し申したかしら。私は父に用事のある振りをして応接室にはいり、ひとりで、つくづくあなたの画を見ました。あの日は、とても寒かった。火の気の無い、広い応接室の隅に、ぶるぶる震えながら立って、あなたの画を見ていました。あれは、小さい庭と、日当りのいい縁側の画でした。縁側には、誰も坐っていないで、白い座蒲団だけが一つ、置かれていました。青と黄色と、白だけの画でした。見ているうちに、私は、もっとひどく、立って居られないくらいに震えて来ました。この画は、私でなければ、わからないのだと思いました。真面目に申し上げているのですから、お笑いになっては、いけません。私は、あの画を見てから、二、三日、夜も昼も、からだが震えてなりませんでした。どうしても、あなたのとこへ、お嫁に行かなければ、と思いました。蓮葉な事で、からだが燃えるように恥ずかしく思いましたが、私は母にお願いしました。母は、とても、いやな顔をしました。私はけれども、それは覚悟していた事でしたので、あきらめずに、こんどは直接、但馬さんに御返事いたしました。但馬さんは大声で、えらい! とおっしゃって立ち上り、椅子に躓いて転びましたが、あの時は、私も但馬さんも、ちっとも笑いませんでした。

***引用終了***

太宰は落語好きだったそうだが、引用中の最後の一文、読むたびに画を思い描いて笑ってしまう。

私は、太宰の中ではこの小説が一番好きだったので、昔、憎からず思っていた女の子何人かに紹介したのだが、それ以後より親しい関係になったという相手は一人もいない。
わかる気もする。

買った本
鈴木紀之「すごい進化 『一見すると不合理』の謎を解く」
ドナルド・キーン訳 「英文収録『おくのほそ道』」

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秋の朝早く

岡潔「春宵十話」を読んだ。
かなり好みです。
ただ、昔からの日本の情緒がそんなにいいものであるのなら、なぜ先の大戦のでたらめがまかり通ったのか、説明がつかないように思う。「軍国主義だけを除いて」云々という文章があったが、それだけを除くことが果たして可能なのか。一緒くた、あるいは同じ共通の根を持っていた可能性があったのではないか。
というところだけひっかかったが、全体としてはたいへん面白く読んだ。短文を集めたものだったので、ぼーっとしている私にもどうにか読み終えられた。本は、これでなくてはいけない。長いのはうんざりしてしまう。他の本もむりやり長引かせてページ数を稼ぐのは止めてもらいたい、と、自分の集中力のなさなど蹴飛ばして、声を大にする。

芸術と数学が同じようなものである(みたいなこと)という部分から、高校時代の音楽の教師を思い出した。全国大会での上位常連校だったわが母校の合唱部の顧問であったが、3年生用の数学の実力テストの問題はだいたい解けると言っていた。一応受験校だったから、どこから出るかわからぬそれなりに難しい問題である。だいたい解けなかった私より、だいぶ数学ができたということになる。

しかし、結局は、論理でつめられるところと価値観の問題となってしまうところとを、どう折り合いをつけるかということ、あと、どう食べていくかという経済の問題が大きくひっからまって、世界の様々な厄介ごとが解決できぬままになってしまうのだろう。何をいってんだか。

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オオケタデ(オオベニタデ)。
田に水がとられる間だけ干上がるこの池にも、水が戻ってきつつある。



まだ一年もある

ここ3週間ほど土日になるといい天気となる。
なんだか、少しくやしい。

読んでいる方はしつこいとお思いでしょうが、もう一度8月4週の敗退の反省についてまとめておく。

1)体力の衰え
当たり前であるのに、少し高をくくっていた。
考えてみれば同じルートを登ったのは16の時と19の時である。山自体にしょっちゅう登っていたうえ、行かないときも毎日のように長距離走その他のトレーニングに励んでいた現役時代である。それ以後、ほとんど身体を動かすこともなく、60代後半になってから、ちょこちょこと山を再開し、毎日速足歩きをしている程度で、どうにかなると考えたことが甘かったのだ。ハイキングコースではないのだ。

2)バランス感覚の衰え
バランス感覚自体というより、むしろ筋力が十分でないために支えきれなかった場合が多かったのではないかと思う。
家での片足立ちでは、若い頃と比べて別にふらつきやすくなったということもないのだ。

3)判断力の衰え
これも確かに日常生活でさえひしひしと感じているのだから山に限ったことではないのだが、体が疲れてくると、正しい判断が一層難しくなってくることは間違いない。希望的観測と悲観的落込みとが、交代にやってくる。これについても、残りの体力の分量に、大いに影響を受ける気がする。
ま、今回は大きな判断ミスはしなかった、いや、分岐点前ですでにそこを過ぎてしまったと勘違いしたのは、大きいか。それでも無事に帰ってきたのだから、やはりまあまあか。

ということで、肉体的トレーニングさえ積めば、まだチャレンジの余地はあるような気になってきている( <-- 我ながらバカ)。
来年に向けて、1年計画で準備をすることにしよう。「私の山は終わった」という言葉はもう忘れることにする。
涸沢で数日間滞在し、天気の良い日を狙う、というのもある。今年は一緒に行けなかったさらなるロートル2名も、結構乗り気になっている。足が攣ったくせにあぶないです。

読んだ本
森田真生「数学する身体」は、どこで知ったか覚えていないが、なにか書評でも読んで興味を持ったのであろう。あまりぴんと来なかった。たぶんいいことはところどころに書いてあったのだろうが、私の心は騒がなかった。いい本は流し読みでも集中力散漫読みでも引っかかってくるはずだ。
その前読んだ「哲学しててもいいですか」と一緒に古本屋送りにしよう。

ただ何度も出てくる岡潔については、著書を読んだことがあるような、ないような、記憶があいまいなので、「春宵十話」を買うことにした。

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ゴゼンタチバナ。 初めて実を見た(雨の横尾付近の山道で)。



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